2006年10月14日
テレビ番組「沖縄オバァ烈伝」エピソード9
<尺変更!!!>
撮影は灼熱の8月に実施された。
主役の山田力也が某公共放送(沖縄ローカル)で月金の帯で生番組を持っていたのだが、夏の甲子園大会の期間だけはお休みである。
その間、集中的に撮影を慣行することにしたのだ。
夏の沖縄の陽射しは半端なものではない。
屋外撮影ともなると、当然ながら日陰を作ることから始めるが、朝と夕方では役者さんの肌の色が変わってしまうこともある。
10月の放映に向け、撮影も順調に進み、8月下旬に粗編素材を持ってYTVに出向いた際に編成担当から渡された番組フォーマットを見て目が点になった。
原作の特徴としては、短編のエピソード集なので4コマ漫画程度での表現が望ましい。
映像化するといっても、それほど長尺にするのは脚本上難しく、7分程度の1コントが限界と思っていた。
番組企画当初から7分1コントを2本で15分番組という前提で進んでいたのだが…
しかし渡された番組フォーマットでは"30分枠"!
コヤ 「えっ!何かの間違いですよね?」
編成 「すぐに確認します!ダダダ...」
(沈黙)
編成 「我々の勘違いで30分で進行してました。枠の変更は難しいので何とかなりませんか?」
コヤ 「何とかと言われましても...」
全員 (う~ん)
この段階で倍の時間尺を埋めなければならないのは困難である。
急遽、伊藤氏に依頼し30秒のオープニングを90秒に伸ばしてもらい、あらゆる告知を挿入しながらでも到底足りる訳はない。
"1コーナー作るしかない"
しかも制作予算は15分番組前提のままであり、新たなコストは極力控えなければならなかった。
色々考えた挙句、急遽私がポーポーで好きだった「沖縄英語講座」ネタを参考にしたコーナー追加をすることにした。
私のイメージでは、オバァは全てウチナーグチで沖縄キーワードをネタに展開させ、アメリカーが英語で絡んみながら進行すればと考えた。
アメリカーの役者はすぐに浮かんだ。
宜野湾の民謡酒場で三線やってたバイロンだ。
その場で民謡酒場に電話するも、彼はもうここではやっていないという。
ガックリした瞬間、「私、携帯知ってるよ」
仲村さんの奥さんが知っていたのだ。
(やっぱり沖縄は狭いなぁ)
早速、電話し出演交渉。運良くスケジュールの確保ができた。
8月撮影、9月編集、10月ON AIRの工程で進んでいたため、追加コーナーの脚本なんてあるはずもない。
しかも私も玉城さんも他のスケジュールで身動きが取れない状況であった為、こんな内容でというイメージだけで現場任せになってしまったのだ。
そこで力を発揮してくれたのが主役の力也さんだった。
さすがにライブを数多くこなしている実力者だけに、このような状況においてもアドリブで何とかこなしてくれたのだ。
現場の雰囲気を盛り上げてくれ、無理な要求にも難なく答えてくれた力也さんには本当に感謝している。
こうして「オバァの知恵袋」コーナーが誕生し、無理やり30分枠番組に仕上げることができたのであった。
撮影は灼熱の8月に実施された。
主役の山田力也が某公共放送(沖縄ローカル)で月金の帯で生番組を持っていたのだが、夏の甲子園大会の期間だけはお休みである。
その間、集中的に撮影を慣行することにしたのだ。
夏の沖縄の陽射しは半端なものではない。
屋外撮影ともなると、当然ながら日陰を作ることから始めるが、朝と夕方では役者さんの肌の色が変わってしまうこともある。
10月の放映に向け、撮影も順調に進み、8月下旬に粗編素材を持ってYTVに出向いた際に編成担当から渡された番組フォーマットを見て目が点になった。
原作の特徴としては、短編のエピソード集なので4コマ漫画程度での表現が望ましい。
映像化するといっても、それほど長尺にするのは脚本上難しく、7分程度の1コントが限界と思っていた。
番組企画当初から7分1コントを2本で15分番組という前提で進んでいたのだが…
しかし渡された番組フォーマットでは"30分枠"!
コヤ 「えっ!何かの間違いですよね?」
編成 「すぐに確認します!ダダダ...」
(沈黙)
編成 「我々の勘違いで30分で進行してました。枠の変更は難しいので何とかなりませんか?」
コヤ 「何とかと言われましても...」
全員 (う~ん)
この段階で倍の時間尺を埋めなければならないのは困難である。
急遽、伊藤氏に依頼し30秒のオープニングを90秒に伸ばしてもらい、あらゆる告知を挿入しながらでも到底足りる訳はない。
"1コーナー作るしかない"
しかも制作予算は15分番組前提のままであり、新たなコストは極力控えなければならなかった。
色々考えた挙句、急遽私がポーポーで好きだった「沖縄英語講座」ネタを参考にしたコーナー追加をすることにした。
私のイメージでは、オバァは全てウチナーグチで沖縄キーワードをネタに展開させ、アメリカーが英語で絡んみながら進行すればと考えた。
アメリカーの役者はすぐに浮かんだ。
宜野湾の民謡酒場で三線やってたバイロンだ。
その場で民謡酒場に電話するも、彼はもうここではやっていないという。
ガックリした瞬間、「私、携帯知ってるよ」
仲村さんの奥さんが知っていたのだ。
(やっぱり沖縄は狭いなぁ)
早速、電話し出演交渉。運良くスケジュールの確保ができた。
8月撮影、9月編集、10月ON AIRの工程で進んでいたため、追加コーナーの脚本なんてあるはずもない。
しかも私も玉城さんも他のスケジュールで身動きが取れない状況であった為、こんな内容でというイメージだけで現場任せになってしまったのだ。
そこで力を発揮してくれたのが主役の力也さんだった。
さすがにライブを数多くこなしている実力者だけに、このような状況においてもアドリブで何とかこなしてくれたのだ。
現場の雰囲気を盛り上げてくれ、無理な要求にも難なく答えてくれた力也さんには本当に感謝している。
こうして「オバァの知恵袋」コーナーが誕生し、無理やり30分枠番組に仕上げることができたのであった。
Posted by コヤ十字路 at 13:00│Comments(1)
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この記事へのコメント
うわー
そのまんま本に出来そうな内容の「オバァ烈伝エピソード」ですね。
何が大変って細かくてめんどくさい事ばかりを積み上げていくところが
気が遠くなりそう・・
一つ事を成し遂げるって大変だぁ・・・
ドラマの裏側の方がドラマティックだったりするのですね。
そのまんま本に出来そうな内容の「オバァ烈伝エピソード」ですね。
何が大変って細かくてめんどくさい事ばかりを積み上げていくところが
気が遠くなりそう・・
一つ事を成し遂げるって大変だぁ・・・
ドラマの裏側の方がドラマティックだったりするのですね。
Posted by ◎ターシ at 2006年10月15日 13:11